−近くにお住まいだそうで。
唐橋と石山の間に住んでます。エエとこやで。
−唐橋前と云ったらやっぱり唐橋でしょうね。
日本三大名橋の一つですね。橋を渡ったら瀬田。湖南と湖東を結ぶところやね。昔は向こうに行くのは唐橋しかなかったさかい、人が渡る橋はないし、国道も唐橋渡って向こうに行く。唐橋は昔から大きな役割を果たしてきましたね。あの辺は毎日通ってたさかいに…。
唐橋周辺の旅館はみんな屋形船もってるんや。網持って、捕れた魚をすぐに天ぷらにして食わしてくれるんや。揚げたてやから、からっと美味いでっせ。小さい旅館がぎょうさんあるんやわ。昔の宿場町やったんかな。
−泊まりに来る人はほかにどんな楽しみがあるんでしょう?
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| 「変わらない街並み。エエとこやで」 |
瀬田のゴルフ場かな、プロのトーナメントもやってるし。あそこから見るとな、「プリン山」云うて、ゴルフ場の一角が盛り上がってるんや。プリンみたいに、あるいは潜水艦みたいに、川越しに見ると盛り上がっている…あの辺、結構心霊スポットがあるんやわ。(笑)「出る」らしいで。瀬田川の桜の木によう死体が浮くんやわ。同じ木の下やで。見てる人がぎょうさんおるんやわ。
よう車が80km/hくらい出してるんやけど、自転車に抜かれたり…。見える人が見ると、川にいっぱい顔が見えたりするらしいわ…結構有名やで。地元のモンは結構知ってはりますで。どちらか云うと石山寺の方が近いんやけどね。
−その桜、写真撮んない方が…。
どやろ。(笑)
それから、瀬田漕艇場とか、ボートが盛んやな。殆どの近畿地方の大学のボート部の合宿所がありますね。ウチの社長も大学時代にボートやってはったから、思い入れはあるやろなあ。
−瀬田川、唐橋、瀬田高校と、とくに唐橋を渡った周辺は「石山ゾーン」と云うよりも「瀬田ゾーン」ですが、JRの瀬田までは結構ありますよね。
ちょっと遠いですわ。
−びわ湖と瀬田川とは、どの辺がボーダーなんでしょう。地元の方も「びわ湖」より「瀬田川」と云う意識なんでしょうか。
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| 新幹線は、このあたりで瀬田川をまたぎます。びわ湖が見える一瞬。 |
JRの高架橋下あたりから瀬田川になります。確かにもう「びわ湖」じゃないですね。
瀬田川沿いの松原の唐橋というと有名なところですね。近江八景の一つやね。「瀬田の夕照」云うのかな。高校生が唐橋渡って、瀬田高のすぐ横が建部さんやね。源頼朝がお願いしたら願い事が叶ったちゅうて、それが何でか「縁結びやぁ」云うとこありますねん。
−建部大社は湖都古都・おおつ1dayきっぷの特典にも入っています。特典つながりで、リバークルーズは目新しいところです。
始まったのは昨シーズンやわ。最初出来た頃はそら話題になって結構乗ってはったけどな。川から陸地見るっちゅうのもオモロいからもっともっと乗ってもろてもエエんちゃうかなぁ。
−唐橋焼の窯元も特典に入っていますね。青い焼物が印象的です。
人気ありますね、フクロウのデザインとかね。体験で作らしてくれるしね。伝統工芸なのかね。唐橋焼はみんな青いですね。あとは松喜屋さん。ちょっと値ぇはるけど、そらぁうまいでぇ。
豆腐料理の居酒屋やってるところあってな。地酒、日本酒がいろんな銘柄、焼酎も揃えているし、やってる人が幼なじみや云うのもあるんやけど、そこ、結構エエ料理屋ですわ。若い女性にも人気あるね。
−焼肉の「麗門」は京阪電車ご用達だとか。
芸能人から、大学生から、ウチとこ社長とか、運輸課の呑み会とか…。麗門は石山の真裏にあるんやけど、その前の本店は石山と唐橋の間。
結構テレビでも紹介されてるし、「ちちんぷいぷい」とか、「探偵ナイトスクープ」とか…。寛平ちゃんが本店に食いに来て、「石山、オモロイ町や」とか云うて、ワシん家の前通ってったで。無制限、飲み放題で、5000円くらいや。
−近江牛なんですか?
そらもちろん。
−ほかにも美味しいものがありそうですね。
私が高校の時の、もう27年ほど前の話ですけどね、おばあさんが道楽でやってた有名なたこ焼き屋があって、「おばたこ」云うてたわ。学校の授業抜け出しておばあさんの家に上がってミカン食ってお茶いただいて…。オモロイたこ焼き屋でな。100円で22個しかないのに、50円で12個。「50円2つ」て頼むと24個もらえる。
−ははは。町には結構、独特の活気がありますね。買い物も地元ででしょうか?
買い物は石山の平和堂とか、ああいうとこ行かはりますね。まあ、車の通りも多いし、ちっちゃいなりに活気がありますね。古い街並み、変わった家もあるし…。
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| 坂本ゆきのりばからは、ギャラリー風のお宅も…。 |
一番珍しいとこ云うたら、駅の中から美術の個展みたいのが見えるんやわ。ホンマ、坂本行きホームに接したところの普通の家が、ガラス張りにして、おもろい工芸品を並べとるんや。
−へえ、いつからですか?
昔小さい時からあったんやわ。40年ほど前から駅にありますね。もっと前からあるんやろうけど。今でもあるで。
もうおじいさんは亡くなって、当時の木の家具を人の絵みたいに…「人面木」云うんですか、あとは変わった石を並べたりとか。更新されてなく、放置されてますけどね。石山寺よりのホームのところ、1/3くらいの感じかな。別にギャラリーではなく、自分の家の一角をホームに映してガラス張りにしてるんや。せやからホームのお客さんも窓ガラス越しにしてはるさかいに…最初見たらびっくりするわな。ナニしてはるんやろと。観光できた人とか見てはるわな、なんやろ思て。
駅で云うたら一番それが変わってるんちゃうかな。「京阪でやってるんやないか」思てはるやろな。電車待ってる間の暇つぶしにはなりますわ。もう一直線やさかい、石山寺の駅も見えますけどね。
−今は運転士の指導などをなさっているそうですが。
そうです。1977(昭和52年)入社で、結婚した1985(昭和60)年に運転士になりました。12月2日に式挙げて、3日に教習所に入ったんですわ…べろんべろんで。1ヶ月ほど前に結婚して、「新婚です」云う仲間がおって、「実は私、昨日結婚したんです」と。エラい怒られましたわ(笑)
−新婚旅行なんかは…?
先に行っていたので…。(笑)それで、1997(平成9)年に東西線が開通して、その翌々年くらいまで乗っていたのかな。面白かったでぇ。やっぱし、「ウチとこの運転士は日本一やと」思ってるさかいに…。
−止むに止まれぬ事情は別として、ご自身の技術では決して遅れを出さなかった「伝説の運転士」だったそうですね。
俺だけとちゃうで。普通はm単位で電車動かしとるけど、ウチとこはcm単位で電車動かさなアカン。夜業でバラストとか、レールを降ろしたりとかも、「おい、5cm前行ってくれ」とか云う感触で電車動かしてたさかいなあ。まあ、他んとこの電車は動かしたこと無いけどな。
大津線で運転士してきたのは、どこ行ったって、運転技術に関しては日本一との誇りを持ってました。なにしろ、ダイヤも確保せなアカン、その中で重大事故もなかった。こういう技術はあんまり他に例がないんとちゃうか?
−併用軌道時代の京津線は少しでも前に行く「攻めの運転」だったんですよね。
とりあえず当たらへんかったら、ギリギリでも行っとった。クルマに「動かんとってや、動かんとってや」云うて、2〜3cmでも動かしとったさかいに…。
東山三条云うたら、両方に交叉点ありますやんか。5m駅行き過ぎたらクルマに当たる、2mでも横断歩道の人を轢く…そんな感じやったなあ。一つ間違えたら業務上過失致死になるの。無事故で行けたのは運転士のレベルですね。広島とかって、軌道内立入禁止やんか。よう走ってたなウチは、あんな道路事情ものすごう悪いとこ。一番かなわんかったのは落ち葉。三条通に銀杏並木があって、葉っぱ踏むとその油で電車が滑って、止まるんですわ。冬になると融雪剤、塩化カリウムを撒きますね。それ踏むと、やっぱり動かん。大変でしたね。
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| 春の蹴上を行く非冷房時代の80形電車。 |
しかももう、あんな駅で。扉が開いたら道渡らはるさかいに、車掌も道渡って歩道できっぷ集めたりとか、正月は晴れ着来てはる人が階段が下りられへんとかね。(笑)
雨の日はみんな、ぼとぼとになって電車乗ってはりました。学生で駅自体が鈴なりになってますさかい、傘が電車にばらばらあたっていくんやわ。
昔は、車掌ん時に、低床・高床とかありましたんで…。蹴上とかで間違えて高床開けた人もおる。東山高校の生徒なんか若いからぴょんぴょん飛び降りとったそうやでぇ。それと反対に高床の駅で低床開けると、80形はステップ出るやろ、あれがホームの側面に噛んでもてな…。
お客さまに手伝うてもろて車体揺らすんや。そしたらその拍子にステップがぱたんと収まる。今やったらそんなことしとったらそらえらいこっちゃけどなあ。ワシらより古い人はこんな経験した人も居ったそうやで。後になって高低床判別装置付いたから、もうそんなこと無くなったけどな。
−相当怒られたでしょう?
それがな、お客さまも笑うて許してくれはったっちゅうねん。「滅多にないこっちゃ」ってな。
−助役になったときには寂しかったんじゃありませんか?
いやもう、電車降りて助役に任命された時には、正直ホッとしましたよ。もう何もなしで運転士降りられたって意味で、無事に引退できたと。運転士が一番事故する可能性が高いですし。16年運転士してきて、何事もなく降りられたのは、ホッとしました。出勤してきたら、ここら走ってると「接触ないように、接触ないように」と思って走っていましたしね。そら、寂しい感じもしたけど…。
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| 「京津線が廃止になるときはな、ホンマ寂しくて、泣きながら歩いて帰ってきたねん」 |
でも、ホンマに寂しかったのは東西線への切替の時ですわ。最後に九条山まで電車を運転してったんです。休みやったんですけどね。応援、ボランティアで行って。九条山に4人ほど居たんやけど、帰る足がないさかいに、歩いて山科まで帰る時に、「振り向くなよ、振り向いたら泣くで」云うて…。
せやけどなあ、結局のところやっぱり振り向いてしまうねん。「もう見えへんようになるなあ」思たところで思わず振り向いてしもた…。やっぱり涙ちょちょぎれでしたワ。
姥捨山やないけど、電車をほかしに行くような感じがしてね。車庫にも入らへんし、あそこで解体したからね。それこそ寂しい思いがしましたね。
800系云うたら近代的な電車やさかいに、それなりにいいと思うけど、私らはやっぱり、80形への思い入れは、そら強い。81号から96号まで、マスコンのノッチの固さとか、バネの感触とか、一台づつ違うたさかいに、未だにその感触は忘れへん。お気に入りは93・94号かな。90番台は80番台よりも走りがよかった。93号はノッチが入りやすく、乗りやすかったですね。ホンマ、あの電車はスーパーカーやったと思いますね。
−運転士時代の武勇伝もありそうですねえ。
大谷の駅の上の方に食肉処理場があるんやけどな、そこから牛がヘロヘロになって逃げてきよったんやわ。それがまた動きよらへん。往生したでぇ。他にも書けへんこと他にも書けへんこと云うたら…ぎょうさんあるでぇ。(爆笑)
一番の思い出は1985(昭和60)年の12月半ばに大雪が降りまして…。5時くらいには20cmぐらい積もっとったんや。ここいらへんの車はロクにチェーンも持ってへんのが多い、そんで161号線の逢坂山の坂上がれんようになって、車が数珠繋ぎや。そのあおりで、浜大津から上栄町まで6時間ほどかかったこと有った。結局朝早かったもんやから車庫から出た電車が次から次へと、浜大津との間にずらーっと並んでなぁ…。
−うひゃあ。降りて歩いてもらった方が良かったんじゃありませんか?
途中で降りてもらったけど、ラチ開かへん。それでまた乗せて、国鉄から流れてきたり…。国鉄も動かへん、バスもアカン、タクシーも動かへん時に、京阪だけ動いとった。あとは三条のカーブ曲がるのに2時間かかったり…。三条の最終で、山科着いた時に、お客さまが40〜50人いてはって、拍手してくれた。電車来て拍手してくれたのは…アレが最初で最後やな。アレはホンマ、感動したわ。
−「京阪電車でゴー」で一般の方のコーチもやったそうですね。
ようやりましたな、あんな企画。電車乗ってて、「こんなモンや」云うのを知ってもらうにはエエかと。一般のお客さまには「電車ってこういうモンや」云うのを知って貰うのにはエエんちゃうかと。動かすのは簡単やねん。止めるんが難しいんや。
案外、みんな知らんのは、クルマより制動距離がはるかに長いっちゅうこと。それに、電車はハンドルでよけれへん。制動距離内にたとえ小さい子どもでもいたら…必ず轢いてしまう。実際ハンドル持ってる者は、よけれへんってのは一番怖いですね。一般の人もアタマではわかっていても、案外気がつかへんことかもな。
−運転士でも世代交代は進んでいるのでしょうが、今の世代にも大津線の運転士の誇りは引き継がれていると思いますか?
やっぱし他の私鉄乗っていても、大津線は運転が丁寧やと思いますわ。電車到着する時のショックなりでは、他のところに比べたらスムーズに、丁寧に止めとんのとちゃうか。うちとこの電車は「どかーん」とは停まったりしない。カーブが多いさかいに、そのへんはどうしょもないけど…。
−それにしても、本当に電車がお好きなんですね。
せやけどな、休みの日になったら電車見んのもイヤやねん。ハハハ…(笑)
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