−大津商業の名物先生ということでご出演をお願いしたのですが、別所のお話や、思い出を聞かせてくださいますか?
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| 「怖い先生やるのも大変なんですよ」 |
生まれは大門通で、ちょうど三井寺駅と別所駅の中間点くらいのところなんです。別所駅が学校の正門の前にあった時も記憶にはあるんですけど。ホームの残骸があります。前の別所駅はそこです。市役所ができて今の位置に変わったんですよ。
ですので、小さい頃は親父に京都に連れてってもらう時に江若鉄道と一緒になった浜大津の駅などが京阪の思い出ですね。
−京津線と石山坂本線が別々の頃ですね。
そうです。京都に連れてってもらえるのは子供心に嬉しくて、浜大津から三条まで、御陵越えるとまた路面になるやないですか、そこからは結構混んだんですね、クルマと一緒に併走して。蹴上、東山三条、三条がものすごく長ぁい時間が過ぎたように記憶してます。子どもながらにしんどくて…。
−そうですねぇ。三条から乗ると、蹴上まで渋滞でとろとろ走っていて、九条山の峠越えで目の覚めるような走りで取り戻す、というパターンでしたね。
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| 「青春時代は野球漬けでした」 |
あとは、中学3年生の時に南滋賀に引っ越しまして、大津商業に通っていましたので、南滋賀から別所まで、ずっと京阪電車で通学してました。野球やりながらやったんで、大きなバッグ抱えながら。青春時代は野球漬け。甲子園目指して一生懸命やってました。
−あらっ、OB先生なんですか。それなら愛着もひとしおじゃありませんか?
はい、この辺りは生まれて育って、青春時代を過ごして。そういうところに勤めさせてもらってるのはありがたいです。地元には愛着があります。卒業して、深草の龍谷大学に京阪でずっと通ってましたので、ずっと利用させてもらって、という思い出もありますね。もう湖西線はありましたが、あまりラッシュはなく。大学出て3年間は大津高校の敷地にある、夜間定時制高校にいたんです。当時は「大津中央高校」と云いました。転勤でこっちに来て、今年で16年になります。そのうちに一回は甲子園に行けよ、というのが周りの期待ですけどね。
−とすると、今の教え子さんがお生まれになった時から大津商業で教鞭をとってらっしゃる。
そういうことになりますね。平成生まれの子が今や高校生ですからね。
−OBとして、先生として、母校自慢を聞かせてくださいませんか?
大津商業は…自由なんですよ。校則は厳しいですけど、いろんな行事があったりとか、修学旅行でも自分達で企画やります。文化祭、体育祭を自分らで創っていける。自主活動と云うて、力出せるように、生徒達に主体的に動いてもらおうと云う体質でした。野球やりながら、学校生活は楽しめてましたね。進学校のギスギスしたイメージはなかったので、ありがたかったなあと思います。
−今もその流れはあるんですね。
僕らの時もそうでしたし、今もそういう流れはあります。服装やらの指導は厳しいですけど、逆にホッとできる部分があったり、行事で自分の持ってる力を出せる場があったりとか。そういう学校やなあ、と思います。母校で、勤めさせてもろうてると云うのもありますけど…ええ学校やと思います。
抜群の立地条件ですし、琵琶湖も比叡山、比良山系も見えるね。文化的な三井寺、弘文天皇陵があったりとか。昔、僕らの時は、入学したら担任の先生に、勉強教わるだけやなくて、連れてってもろて、僕らは「地元やから知ってるわ」って思って、先生らより詳しい説明したりしてましたけど、今そんなんないんですよ。勤めている先生でも周囲の遺跡、遺産も知らはらへん先生もいると思います。
−それはいかにももったいない。日本史や文学のコア部分を、生きた地図と結びつく形でリアルに体験できるのって、関西の特権じゃありませんか。ところで、先生同士で呑みに行くお店なんかはありますか?
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| 「ええ学校やと思います」大津商業の校門。 |
昔は校門出たところに「琵琶湖食堂」てのがあって、そこに集まって、「帰り呑み行こか」と云うて呑みに行ってた。僕らの高校時代の先生方は…毎日のように呑んではった。そこで情報交換や教育談議もしていたらしいんですけど、最近は呑みに行く云うのが減ってるんですよ。
ひとつはマイカー通勤の先生方が多いので。もうひとつは不景気ってのもあると思いますけどね、もうひとつはタテ、ヨコの繋がりが薄れてきている。若い先生もいやがる。だんだんだんだんそういう機会が減ってきましたね。今までやったら運動部でも、春と秋に高体連が終わったら、ご苦労さん会しよう云うて、幹事の先生が音頭とってくれはって…。
−そうなんですか。寄り道は校則で禁じられているかもしれませんが、生徒さんご用達のお店なんかはご存知ですか?
喫茶店、パン屋さん、蕎麦屋さん。パン屋さんはウチの生徒と市役所の職員で、ほかは市役所の職員で持ってます。その他は国体の広場で、近所の人の犬の散歩やジョギングのコースになってます。皇子山球場行かはるのでも、別所で降りていきますよね。3月には毎日マラソンがありますね、陸上競技場がメイン。
昔は体育館があって、旧い旧い体育館ですけど、プロレスとかよう来てました、ジャイアント馬場とかデストロイヤーとか。野球少年やさかいに、市民野球グランドで遊んでいたりしたら、覆面かぶったプロレスラーとしゃべったの覚えてます。怖かった。ジャイアント馬場なんか…めちゃくちゃデカいと思った。そんなん、知ってる人もだんだんだんだん少なくなってくるんやろなぁ。
−馬場さんも亡くなられてから5年経ちますものね。ところで、大津商業の生徒さんは何人ぐらいなんですか?
ウチは1学年320人、3学年合わせて960人ですが、そのうち京阪で通っている子は7割くらいですかね。乗車マナーが悪いとかね、僕らが学生時代に利用していたのや、大人になって利用したりしていると「もうちょっとなんとかせいよ」とかね。「歩きながら食べる」云うのが当たり前みたいになってきたので、皇子山駅と別所駅の間のコンビニで買ったものを食べながら学校まで来よる。生徒指導の先生はそういうのを注意してくださるんですけど、なんで叱られるのかわからへんのです。
電車の中でも地べたにぼん、と座ったりとか、京阪だけじゃなくてJRでも、椅子に座らんで地べたに座る。僕らの学生時代とは変わりましたね。
−まあ、いつの時代もそんなもんかもしれませんよ。ただ、都会に比べて、田舎に行けば行くほど高校生のマナーはだらしなくなるという実感はあります。大津はそう悲観的になるほどでもないんじゃありませんか? 商業高校というと、女の子が多いんじゃないかと思いますが…。
女子が7.5割。男の子が小っちゃなってますよね。スポーツやらやってる子は別ですけど、最近はおとなしくって、コンピュータ一生懸命やりたい男の子が多くて、時々大丈夫かなって、思うこともありますけどね…少数派やから、優秀な男の子も多いですけど。コンピュータならコンピュータにのめり込んで、基礎の部分を教えたら後は自分でどんどんどんどんやっていく、僕らが手の届かへんところまでやって行きよる。教師の方が見守っているようなね。
情報処理の国家試験、簿記とかワープロといった資格取得の検定試験があるんですけど、できる子はどんどん自分でやっていきますからね。先生が資格を持っていなくても、後押しさえしてやればその子らは自分の資格を取っていく。それを武器にして進学やら就職やら。
資格を取った子が先生をどう思うかというと、先生を馬鹿にするのでもなく。そうやって未来を切り拓いてきます。「分からんことは逆に教えてくれよ」て云いますから、上手くコミュニケーションとれてるのが今の状況ですね。
僕らがおおっ、て思うような資格とか、教師が教えて、と云う部分ではなくなっています。基礎の部分は云うてやらなアカンのですが、きっかけ掴んだら僕らは追いついていけないんです。そこで「行けえっ!」云うんですけど…。簿記なんかでもそうですね。
−教わる方がある程度の習熟段階に達すると、先生は「ティーチャー」と云うより「インストラクター」なんですよね。根本の部分を教えて、きっかけを掴ませてあげるような。教え子は師匠を超えなくちゃいけないんですから、その「巣立ち」は嬉しいでしょう?
そうですね。でも僕は、何でもいいですからクラブ活動はやって欲しいなって思うんですけどね。6時間目の授業終わって、さっと帰りますわ。クラブ入ってる率はどんどんどんどん下がってますね。
基本的にアルバイト禁止なんですけど、こういう不景気な時代になってしもたんで「おうちの家計を助けなアカン」云う大義名分のもとアルバイトしたりとかね…。ホンマにせっぱ詰まった状況で、自分で努力しながらやってる子もおるんですけど、親ももう「アルバイトしとるんのならかまへんか」くらいに思てるので、アルバイトの方が勉強よりもウェイトが多くなって、学校来られないようになってしまうとか…。
そうかと思うと家でゲームばっかりしているとか、何もしとらへんという話も聞きますので…。
僕は運動してますから、運動部に入りよったらいいなと思いますが、いろんな文化部もあります。そういうところに入って、高校時代ってわずか3年ですけど、3年間が一番大事な時期やと思いますので…。
もっと自分らの可能性を見つけられる年代やと思うんですけどね、もっと有意義に過ごして欲しいなあ、と思うんです。
−そうなんですか。15年くらい前の高校生は、学校の部活のあと、街に出て行って夜のクラブ活動もしてましたが…こんなの、先生の前で云うことじゃないけど。(笑) 野球部の顧問を務めてらっしゃるんですよね。
はい。そういう中で野球部なんか24名、マネージャー入れて27名、監督に怒られながら、しんどい思いしながら、卒業してからも違う分野で活躍してくれるんやろな、と思うんです。
就職してもクラブをやってる子は、上下関係も上手く対応できますし、怒られても凹むでしょうけど、復活しますから…。やってない子は凹んだら凹みっぱなしですからね。若い子でも多いんですよ。持たない。
就職したけど1ヶ月持たんで辞めたとか、3ヶ月持たんで辞めたとか云う話を聞くと、残念やと思いますね。鍛えられてないですわ、そういう部分で、安易に考えている部分もありますしね。僕らから云わしたら「あ、こんな子が」や「そりゃ持たんやろ」など。
−そういう時って…。
責任感じますよ。その子の持ってるモンなんですけど、学校として送り出してるわけですから、後輩のこともあるやないですか、ケツを割ってしもたら、後輩は絶対に採ってもらえませんからね。
自分さえよかったらエエやとか、自分が辞めることによってどんだけ迷惑がかかるか考えませんから…。親もそうでしょ、「辞めたらエエやんか」て感覚ですかね。今まではそうじゃなかったんで。困ったもんやなあ、とは思いますけどね。ウチの生徒に限った話じゃなく、全国的な話やと思いますけどね。
−そうなんですか。
現場にいると、だんだんそういう方向になってきてるなあ、と感じますけどね。そやからもう高卒の求人はしませんとか、高校生採りません、と云う会社も増えてきてます。短大、四年制大学卒業やないと就職できひん云う会社も増えてきました。
−田中さんは大学に進学なさいましたが、今、就職と進学の割合はどんななんでしょうか。
ウチら商業高校で就職も、求人自体の数も減ってきてますから…。だいぶ進学にウェイトが変わってきて、現在は進学が6割、就職が4割ですかね。四年制が2割、短大2割、専門学校2割くらいですかね。
−なんだか、お話を伺っていると、どうも「怖い先生」っぽい雰囲気なんですけど…。
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| 「エラーしたらグラウンド10周やで〜」 |
実はそうなんですよ、怖い先生やるのも…大変ですね(笑)。けど、みんなはぴりっとしてくれるんでね。そういう先生もいなアカンでしょ。友達みたいにしゃべるんやなくて、世の中がどうなっていくかですけど、教育も転換期かもしれませんね。「ゆとり教育」が見直しになってきたりとか云われてますから。
−でも、生徒さんが可愛いからこそキツいこともおっしゃるわけですよね。
生意気な奴もおりますし、可愛い奴もおる。野球部の子らも本当に頑張っとるなあ思いますし、しんどいことさせるやないですか、それでも歯ぁ食いしばってついてくる。だから僕も頑張れる。生徒から力をもらってます。感謝してますよ。
−先生も生徒からパワーをもらうんですね。先ほどそういえば「甲子園」なんておっしゃってましたが。
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| はばたけ大商! 京阪電車からも見える100周年をアピールする看板。 |
ウチも後一歩で甲子園と云うことが何回かありました。今年は2005(平成17)年、創立100周年なんです。100周年に大きな目標を達成したい云うて頑張ってますけどね。
県下で100年迎える学校は指折り数えるくらいしかないんですよ。膳所高校や八幡商業、彦根東、その次ぐらいでしょうか。五本の指に入るくらいしか100年って学校はないんですけど…。
−電車から見えますね、100周年の看板が。大津線もまだ100年経っていないんですよ。大変な伝統です。
いろいろPRせなアカンのですが、毎年6月に同窓会の総会ってことで、例年は150人から200人くらい。上は80歳くらいから、下は19歳まで毎年1回やってるんです。
ここしばらくは琵琶湖ホテルでやらしてもろてるんですけど、今年は100周年ということで、11月19日に大津プリンスホテルで記念式典と祝賀会とをやらしてもらいます。記念式典2000人、祝賀会が800人くらいの規模で準備を進めてるとこなんです。
それに対しての資金的な援助もお願いせなアカンので、卒業生に募金をお願いしてるんですけど、不景気なんで目標額にはなかなか達しないんですけど、それを現役の生徒に還元できる方向に動かさせてもらってます。100年って云うと一つの区切りですし、そう云うことを地域の人にもわかってもらわないと。「いろんなイベントとからめながらやってこう」云うてるんですけどね。
−イベントですか。
たとえば、「大津商業100年」で地域に根ざした活動をアピールしよう云うことで、2月の3連休、明日都浜大津での、市の町おこし活性化イベントで、大津商業の子がアイディアを出してやらしてもらったんです。バザーやったり、コンサート開いたりして、あそこにもっと人が集まってもらうというイベントがあって、担当の先生方がバタバタされてました。
−沿線にはたくさん学校があります。「沿線文化祭」「沿線対抗体育祭」などで、学校の相互乗り入れがあれば活性化するんじゃありませんか? 地域との結びつきが強いので、卒業生を含めて…。
今、残念ながらそういう動きにはなってないですね。いろんなアイディア、知恵を絞っても、井の中の蛙。自分たちだけのエリアでやってると云うところで止まってしまってますね。もっと社会に開かれた学校は…理想ですけどね。でも、現場にいると「トラブルが怖い」と云うことで、なかなか受け入れてはもらえない。
−そうなんですか。確かに学校は、閉鎖された安全な空間であるはずですからね。最近は物騒な事件もあって嫌ですが…。でも、沿線の学校をつないだ何かが出来たら面白いな、とは思いますね。京阪電車も地域と一緒に歩むべきですから…。
こないだいっぺん、石坂線も廃線になるような話が出ましたでしょ?「そんなんなったらどないするんやろ」云う話が学校の中でも出ましたね。
僕は「単なる噂やろ」って云うてたんですけど、実際そうなってしまったら、ウチはもちろんそうですし、市役所に通勤される方や、比叡山高校、皇子山中学校、大津高校、石山高校、みんな京阪の石坂線にお世話になって生活できてるんで、「そりゃないやろ」って云うてたんですけど…。
−ええ、不穏な報道はありましたが、サイト作ったり、イベントやったり、いろいろ京阪電車も活気が出てきているのが、生徒さんにも伝わっているんじゃないでしょうか。クリスマスの電車も人気だったようで何よりです。
本数も増えましたしね。昔は部活終わって、着替えて走ってって、踏切が鳴って、乗ってホッとしてました。一本逃がしたら15分ありませんでしたからね。今の子なんか1本逃がしてもそんなにねえ。
だから、それでかな、ウチ、3時15分に6時間目終わるんですけど、以前は終わってすぐに飛び乗って帰りよる子はぎょうさんいましたわ。6時間目の授業行くと帰り支度してるし、「早う終わってもらえませんか」と云われて「アホか! 何云うとんのや」なんて。「センセ、これに乗らんとアルバイト…」「何がアルバイトや! 」(笑)
本数が増えて便利になってるんですね。売店でアイスクリーム食べるのが楽しみやったんです。「終わったぁ」云うて、アイス食べながら、「行儀よくせなアカンぞ」云うて怒られて…今は逆ですね。(笑)
京阪には生活に密着した路線ですから、いつまでも走ってもらいたいと思います。イベントも大事やと思いますけど、だんだんお年寄りも増えてきてますし、高齢化社会になってきてますし、きっぷ一枚買うにしてもそうやないですか。お年寄りとか、障害のある方にやさしいとか、そういう部分がもっともっとPRできると「京阪やさしいなあ、利用者に優しいなあ」って云うイメージは、僕はものすごく大事やと思うんですね。
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