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| ホーム > o2talk > 上田良平さん |
currently Japanese only
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素敵なゲストとの硬軟とりまぜた楽しい語らいのひとときでおくつろぎください。
ゲストが「私なりの大津線の楽しみ方」をそっと教えてくれるかもしれません。 |
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| 第12回: 末富孝也さん | ||
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大津の秋の風物詩にして、湖国三大祭りのひとつ、大津祭。江戸時代初期から続く大津祭には、もう400年近い歴史があります。今年の大津祭は、10月9日が宵宮、10日が本祭り。お囃子の練習に力が入る神無月です。浜大津の商店街のアーケードの一角に、大津祭曳山展示館はあります。年に2日の大津祭と、363日の大津祭気分の日のために。10月のo2talkは、この大津祭を特集し、曳山連盟の会長、上田良平さんにご登場いただきました。9月17日、大津祭曳山展示館にて |
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| 「ちょっと見るだけでもかなり楽しめます」 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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上田良平さん
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曳山を支える人たち |
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はい。それから、今でこそ花火もこっちでやってますけど、前は瀬田川でやっていたんです。花火大会の時に大津祭のお囃子が網船に乗って上がり下がりしてました。婚約時代に嫁さんと電車に乗って石山に花火見に行った。そういう想い出はあります。
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上田良平(うえだ・りょうへい)
大津祭曳山連盟会長。1924(大正13年)生まれ。 大津祭曳山展示館へは、浜大津駅から徒歩5分です。 |
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大津祭では、13基の曳山が街を往きます。この曳山が三輪、ミツ玉であることでしょうか。
そうです。大津では曳山と云います。岸和田のだんじりもいわゆる山車ですし、御輿のようにかつぐのではなく、曳く種類ですね。
狭い大津の街で小回りをきかせるためです。大津は戦災に見舞われなかったので、昔のまんま、狭い道がそこらここらに残ってますよね。大津祭の時には歴史が感じられますよ。ところで、曳山はもともと14基あったんです。
売られたんだったらあるはずなんですよ。本体がどこ行ったか全然分からへん。水害で流されたとも云ってます。
明治時代ですかね。
そういうことは聞いてません。曳山がよそに譲られたことはあります。ところが、曳山があるために町内の若い者が極道になる、云うて。譲られ、もろたはええけど、2基もあるんで出さへんから、他の人が怒ったため、またよそに譲られた曳山もあります。
14基ある曳山が、最初の山から全部できるまで、138年間かかっているんです。そやさかい、短期間にではなくて、長い時間かけてできあがってきた。有力な商売人がたくさんいたんですね。それで今日も残っとる。まあ、せっかく歳月かけて作ったのに、1基原因不明で消滅、現在13基。残念ですね。 昔は山を曳くのも建てるのも全部、町内の者は、何もせんでもよかった。戦前の話ですよ。みんな農村からおいでになった。もう農村も地場で仕事、職場はナンボでもある。わざわざ大津まで行く必要ない、と断られ、さて困った。山の組立は地元の工務店や大工さんに頼めばええけど、山を曳いていただく方がいなくて…。せやから、それをきっかけに町内の者が山建て作業に参加するようになりました。 ところが近年、都市化されてくると、年寄りばかり残って、若者は皆、別所帯になってしもて…。町内でも二世帯なのは2、3軒くらいしかあらへんのとちゃうか。亡くなったら家は残ったけど、跡は駐車場になったり…。「家」は残したげんとね…。祭の時に、栗東あたりから息子一家が帰ってくるんですわ。やっぱし、若者でも小さいときから乗っとるのが離れないんですかね。 そんなんで、今は町内の人も一緒にやらんと経費もかかるし…。その点は若者がやってくれますし、他にもせなあかんことあります。修復もせなあかん。今、大津市もどこでも一緒ですけど、文化財の補助金の対象になりますから、一生懸命やってますけどね。
この近所でも、大津祭知ってはる人が、大津祭に魅力を感じて、町屋を買うて、こっちに引っ越してきた人も居てはりますよ。学校の先生かと思いますけど、何でも調べてはりますわ。今までの大津の人からしたら、若いモンが外に行ってしもて…。ホンマかないませんわ。 お年寄りが古い家に住んどったら、バリアフリーとか困りますね。若い頃は二階に住んでても何にも思わへんけど、これが歳をとってくると、不便やけど昔の家が懐かしゅうなってくると思いますわ。
たしかに、曳き手の問題でも、昨年までは学生アルバイトとかお願いしていたんですけどね。3年ほどかかりましたけど、今年は曳き手全部ボランティアでまかなえるようになりました。前には何の山を曳いたから、今度はこっちを曳かせてくれと。 それから、9月23日、曳山展示館で、曳き手ボランティアのオリエンテーションをやって、引き続き滋賀会館で、創立50周年を記念して舞台公演を実施しました。主催は私らになってますけど、中の企画・構成については若者の曳山連盟の囃子方の会が立案してくれましてね。相当反響を呼びました。
大津祭は経済効果があるんが分かってきました。花火の日の方が後始末が大変と(笑)
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大津百町、町衆の心意気 |
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−さて、話を戻して、ミツ玉以外の特徴、大津祭自慢もお聞かせくださいませんか?
現在は曳山連盟の約束事として、ちまき、手拭い、これ以外はまいたらアカンと。私ら小さいころはキャラメルや栗を蒸したやつを糠袋に入れて…。森永なんて上等モンやなしに、カバヤとか…。そういうモン投げると、放ったら後ろの屏風やらに穴開けたりするさけぃに、やめたんですよ。家の家宝である屏風に、穴あけたりガラス割ったりしたから。それは禁止してますしね。今は、あくまでもケガのないやつ。
その通りです。遠くの人にとってもらおうと思って投げても、基本的に弱肉強食やさかい…。ただ、投げるのは大津だけに許されてるらしいですね。道路使用許可から、条件付けられますやん。 |
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狸山になってくると狸が乗ってくるんですよ、70cmの。そうでないと道路が盛ったりしたらもう10cmくらい簡単に上がります。それで3回くらい点検に歩かないと。それで直ったら再点検。161号線のところは高圧線通ってるし、国道やからね。曳山持ってくると京阪電車もヒヤヒヤされてはるかと。
大体、5トンくらいです。玉をひとつ動かそと思うと、真ん中に的棒を回すときに反対にテコを入れたり、玉を援助してやったり、それを真ん中に通して蔵から出すんですわ。 |
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ホンマは本物を飾っときたかったんですが、ずっと組んどくと固まって、壊れてしまう。展示館の西王母山の玉は、もう使えなくなったのを使ってるんです。 それから、懸装についても重文関係、天井の絵や、胴幕の刺繍やら、有名なやつがあります。さらに、大津の曳山は破風、屋根の格好が4通りありますわ。こけら葺き、瓦葺きみたいな格好してるんですね。猩々山は切妻屋根ですし、神功皇后山は横にも唐破風がついてる。
月宮殿山やな、上京町の。あの絵もひとつの絵やなくして、祇園祭にもあるんです。長浜にもあるんです。ひとつの絵が三つに分かれていて、復元されて。 |
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大津は町人文化なんですわ。商人の方がたくさんおいでになって。北陸から湖上を来る物流が大津で上がって、京に行く。大津も戦災を免れたさけぃね、もう2,3日遅かったら大津も間に合わへんかった。ビラ撒かれたらしいですから…。県庁やら、市役所やら、みなこっちにあったんやから。
ほんまですね。郊外に今でこそ家あるけどね、当時はありゃしませんから、この辺一体やったな。江戸百町って云うんですか。経済の中心地でもあったし。今も豪商がおいでになるとは思いませんけど、町衆の曳山ですな。
展示館があるのも商店街の活性化のためにやったんやけど、車で来るってこと読んでませんわね。浜大津にあった方がよかったわね。なんやもう、みんなシャッター閉めてしもて…。これは大津に限ったことやないですけど。 |
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大津の魅力再発見 |
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| −ところで、お囃子は、各曳山ごとにパターンが決められていたんでしたね。
はい、各曳山が大体12,3のものを持っています。バッターボックスにはいると流れる、選手別応援歌みたいなもんです。坂道を上がるときに「流し」云うのをやります。「ちきちんちきちん」。「かんかん」はないんですよ。
ところが宵山、これがおかしい。もともとは本祭の帰るときの戻り山なんですが、リズムが反対のところがあるんです。2,3基ですか。戻り山と宵山がどこがどのように伝えられたかわからへんのですけど。
戻り山っつうリズムは、町内を通ったら、ウチの町内の巡幸が終わっていないのに戻り山を囃したみたいなんですね。本来は、戻り山を囃すのは解散の合図です。ほんで、町内巡航中に戻り山とはけしからん、と問い詰めてみたら「いやあれは、ウチは宵山なんです」云うこともあります(笑)。 それから、からくりに入る前の囃子と、終わった後の囃子とがあるんですよ。私ら小さいときは、間違えますと後ろから笛吹いている人にガツーンと、こうやられるんですよ(笑)。
そら緊張してます。でも、だいたい小学生。いちばん主役は子供です。あと、太鼓たたきが注目の的やね。太鼓がリズムを調整して、お囃子をリードしますからね。
そうですね、祭は大人になっていくための、一つの過程でもあると思います。
そうなんです。実際に大津祭をご覧になると、祭りが芸術である理由がよくわかるんやないでしょうか。
「所望」の場所は軒先に印が出ています。結ばれた状態だと「通過してええで」ということになってしまうんで、どこの家も大体ほどいてあります(笑)。で、からくり。それが済んだら次行って…。 |
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屋根の高さ合わせて、直接2階から見られるようにしてはる家もあります。ああいう風に開放してくれはる人は、もういませんな。なんぼ大津人がお人好しでもね、個人の家に見ず知らずの人上げたるなんて、無理な話ですわ。後日問題が起きたらえらいこっちゃ。
西宮蛭子山ってありますやん。たいをえべっさんがつるんです。鯛をなかなか上手いこと釣り上げられないんですわ。鯛を釣り上げたときは拍手喝采です。子供に人気あるんですよね。
猩々山ね。顔がクルッと赤くなるんですよ。どれも、時間が長くて2分くらいでしょ。それでいて面白い。遠方からおいでになる方でも短時間に見られるから、山の巡行から最後尾まで1時間もあれば所望は全部見られる。29箇所でやっていますし、正午に全部揃えますが、ほかは1箇所に全部集まる云うことはありませんから、ちょっと見るだけでもかなり楽しめます。 |
西王母山の所望(からくり)。桃が開いて、童子が中からこんにちは。 |
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©2004-2006 京阪電気鉄道株式会社 大津鉄道事業部 / NPO法人 京津文化フォーラム82 / 大津祭曳山連盟 |
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