京阪電車 大津線 公式webサイト keihan-o2.com o2news 最新情報 o2utilities 路線図・運賃・時刻表 o2stations 大津線の各駅紹介
o2talk ゲストとの対談コーナー o2crew 大津線を支えるスタッフの素顔 o2trains 個性的な高性能小型車たち
ホーム > o2talk > 上田良平さん
currently Japanese only
o2crewタイトル 素敵なゲストとの硬軟とりまぜた楽しい語らいのひとときでおくつろぎください。

ゲストが「私なりの大津線の楽しみ方」をそっと教えてくれるかもしれません。

第12回: 末富孝也さん
バックナンバー
第11回: 福井美知子さん 第10回: 中井保さん
第9回: 三宅一朗さん
第8回: 岡田妙さん
第7回:安楽好正さん
第6回:神田浩さんと膳所高校書道部の皆さん
第5回:上田良平さん
第4回:木津勝さん
第3回:OGGさん
第2回:高阪真希さん
第1回:篠原資明さん

 大津の秋の風物詩にして、湖国三大祭りのひとつ、大津祭。江戸時代初期から続く大津祭には、もう400年近い歴史があります。今年の大津祭は、10月9日が宵宮、10日が本祭り。お囃子の練習に力が入る神無月です。

 浜大津の商店街のアーケードの一角に、大津祭曳山展示館はあります。年に2日の大津祭と、363日の大津祭気分の日のために。10月のo2talkは、この大津祭を特集し、曳山連盟の会長、上田良平さんにご登場いただきました。

9月17日、大津祭曳山展示館にて
インタビュアー=黒田一樹(京津文化フォーラム82 専務理事/芸術監督)

「ちょっと見るだけでもかなり楽しめます」
上田良平さん

曳山を支える人たち

−御歳80と伺っていたのですが、随分お若くていらっしゃいますね。

上田良平さん はい、京阪電車には早うからお世話になってました。坂本へは幼稚園、5つくらいの遠足で。また、叔父がいたから日吉祭には毎年行ってました。私らが旧制中学の時に緑が丘によく野球見に行くんですよ。京都人にようやられたもんですわ。当時のスタンドはすだれの屋根ですやん。ばーんとフライ飛んだらみんな逃げますがな。
 上栄町のあの辺から逢坂山のトンネル越えてぐわーっと回るでしょ。いちばんしんどいところですね。あの時分はかなわんかったなあ、電車酔いで。

−緑が丘の駅があったんですよね、四宮と追分の間に。それをご利用になったんですか。

 はい。それから、今でこそ花火もこっちでやってますけど、前は瀬田川でやっていたんです。花火大会の時に大津祭のお囃子が網船に乗って上がり下がりしてました。婚約時代に嫁さんと電車に乗って石山に花火見に行った。そういう想い出はあります。

−ずっと大津なんですね。さて、大津祭を見たことがない方で、これを読んで「それなら見に行こうかな」と思う方もいらっしゃると思います。そんなんで、日本各地にある祭の中で、「これが大津祭だ」というものは、何でしょうか?

上田良平(うえだ・りょうへい)

 大津祭曳山連盟会長。1924(大正13年)生まれ。
1958(昭和33)年に、京町で家業のガラス店を継ぎ、現在に至る。
 5歳で西行桜狸山にお囃子として乗ってから大津祭との関わりが始まる。旧制中学時代に曳山からは降りるものの、1960(昭和35)年から狸山の理事となり、1987(昭和62)年に連盟の副当番長、翌1988(昭和63)年当番長、さらに1989(平成元)年に副会長を経て、1995(平成7)年から現職。9月には大津祭曳山連盟で特定非営利活動法人としての認可を申請。

 大津祭曳山展示館へは、浜大津駅から徒歩5分です。

大津祭曳山連盟

 大津祭では、13基の曳山が街を往きます。この曳山が三輪、ミツ玉であることでしょうか。

−曳山というのは、いわゆる山車のことですね。

 そうです。大津では曳山と云います。岸和田のだんじりもいわゆる山車ですし、御輿のようにかつぐのではなく、曳く種類ですね。

−どうして三輪なんでしょうか?

 狭い大津の街で小回りをきかせるためです。大津は戦災に見舞われなかったので、昔のまんま、狭い道がそこらここらに残ってますよね。大津祭の時には歴史が感じられますよ。ところで、曳山はもともと14基あったんです。

−1基は売られちゃったんでしたっけ?

 売られたんだったらあるはずなんですよ。本体がどこ行ったか全然分からへん。水害で流されたとも云ってます。

−なくなったのはいつですか?明治?

 明治時代ですかね。

−戦災で焼失とか、そういうのでもないんでしょうか?

 そういうことは聞いてません。曳山がよそに譲られたことはあります。ところが、曳山があるために町内の若い者が極道になる、云うて。譲られ、もろたはええけど、2基もあるんで出さへんから、他の人が怒ったため、またよそに譲られた曳山もあります。

−曳山は、はじめの狸山から時間をかけて成熟してきて、今も修理したりして、姿を変えつづけているんでしたね。

 14基ある曳山が、最初の山から全部できるまで、138年間かかっているんです。そやさかい、短期間にではなくて、長い時間かけてできあがってきた。有力な商売人がたくさんいたんですね。それで今日も残っとる。まあ、せっかく歳月かけて作ったのに、1基原因不明で消滅、現在13基。残念ですね。

 昔は山を曳くのも建てるのも全部、町内の者は、何もせんでもよかった。戦前の話ですよ。みんな農村からおいでになった。もう農村も地場で仕事、職場はナンボでもある。わざわざ大津まで行く必要ない、と断られ、さて困った。山の組立は地元の工務店や大工さんに頼めばええけど、山を曳いていただく方がいなくて…。せやから、それをきっかけに町内の者が山建て作業に参加するようになりました。

 ところが近年、都市化されてくると、年寄りばかり残って、若者は皆、別所帯になってしもて…。町内でも二世帯なのは2、3軒くらいしかあらへんのとちゃうか。亡くなったら家は残ったけど、跡は駐車場になったり…。「家」は残したげんとね…。祭の時に、栗東あたりから息子一家が帰ってくるんですわ。やっぱし、若者でも小さいときから乗っとるのが離れないんですかね。

 そんなんで、今は町内の人も一緒にやらんと経費もかかるし…。その点は若者がやってくれますし、他にもせなあかんことあります。修復もせなあかん。今、大津市もどこでも一緒ですけど、文化財の補助金の対象になりますから、一生懸命やってますけどね。
 やっぱし、ひとつの見送幕でも何千万円とかかりますからね、それを町内でまかなっていくのは大変です。古いの使うているとボロボロになるし。使い古してもほかすようなら、文化的な値打ちもなくなるし、復元新調が盛んで、大分やりましたよ。あとは歴史博物館に保管をお願いするとかやってます。

−青森のねぶたなんか、そのために里帰りする人が非常に多いらしいですが、祭は、街にとってのお盆みたいな意義があるんでしょうか。しかし、大津そのものは人口が増加傾向とはいえ、中心地である浜大津は寂しいことになってきています。

曳山の前の上田さん いちばん少ない町内会では、所帯数が7軒、そのうちお年寄りが2世帯。それで山を維持してかなあかん。私らんところは30軒くらいありますけどね。
 どこの者もお祭には来るし、練習にも来るんですよ。少子化で、子供が少ないですね。今までは町内のモンが山に乗ったけれど、今は縁故をたどって、あの人乗せてくれへんか?あんた乗らないか?…とね。

−続けてナンボですからね。その成果は出ているんでしょうか?

 この近所でも、大津祭知ってはる人が、大津祭に魅力を感じて、町屋を買うて、こっちに引っ越してきた人も居てはりますよ。学校の先生かと思いますけど、何でも調べてはりますわ。今までの大津の人からしたら、若いモンが外に行ってしもて…。ホンマかないませんわ。

 お年寄りが古い家に住んどったら、バリアフリーとか困りますね。若い頃は二階に住んでても何にも思わへんけど、これが歳をとってくると、不便やけど昔の家が懐かしゅうなってくると思いますわ。
 あと、今まで大型ゴミがようけ出ましたね。今は捨ててあったら、これええなあ、使えるなあ思たら、すぐに持っていきます。ああ、これはええなあ、使えるなあと思たらすぐに持っていきますね。あきまへん、新しいものは。

−たしかにね。今茅葺き屋根の家に住んでるのは8割が外国人だと云いますし、京都でうまいお酒を飲ませる店はユダヤ人がやっている。手前みそですが、京津線の電車は東京人が中心になって保存している(笑)。
 ネットがある21世紀は、その人の背景にかかわらず、好きな人が好きなことのために汗を流す、そんな本当のボランティアの時代が来ているような気もします。

 たしかに、曳き手の問題でも、昨年までは学生アルバイトとかお願いしていたんですけどね。3年ほどかかりましたけど、今年は曳き手全部ボランティアでまかなえるようになりました。前には何の山を曳いたから、今度はこっちを曳かせてくれと。

 それから、9月23日、曳山展示館で、曳き手ボランティアのオリエンテーションをやって、引き続き滋賀会館で、創立50周年を記念して舞台公演を実施しました。主催は私らになってますけど、中の企画・構成については若者の曳山連盟の囃子方の会が立案してくれましてね。相当反響を呼びました。
 そうして自主的に立ち上げさした方がええ。自分らが後を引き継いでやっていくという気迫を持たさんと。上がみんなやってくれる、ワシらは上に乗って愉しんだらええ、と云うんはダメや。アンタらがこれからやっていくんやから、アンタらが考えやと…。13の曳山が競い合うてやってるんや。お話だけやなしに、からくりをやったりね。歴史博物館の学芸員の話、観客と一帯になったクイズやりました。

−そういえば、ボランティアの話が出たところで、NPO法人を立ち上げられるんですね。

 大津祭は経済効果があるんが分かってきました。花火の日の方が後始末が大変と(笑)
 大津祭においでになってくる人は増えてます。今のところが収容能力が限度や。トイレの問題や食事。アクセスはいいけど駐車場の問題。私らはそれを解決しようと思ったって、そういう面からNPOを立ち上げた方がいいんやないかと。後継者の問題もありますけど。

−滋賀県は社会活動が盛んですからね。大津の観光振興のためにも、いろいろ僕らにもできることないかと思っています、本当に。なかなか距離の問題があって歯痒い部分もあるんですけど…。でも、こうやってお話を伺ったりしていると、どんどん大津が好きになっていく。
 keihan-o2.comの読者の方にも、大津の奥深さ、おもしろさを伝えて、大津や大津線のファンになってもらえたらな、っていつも思っています。

桃山
大津祭曳山展示館で展示されている、西王母山の実物大模型。

大津百町、町衆の心意気

−さて、話を戻して、ミツ玉以外の特徴、大津祭自慢もお聞かせくださいませんか?
ちまきを手にする上田さん
ちまきを手にする上田さん。ちまきがご自宅に飾ってある方も多いのではないでしょうか?
 各曳山が全部「からくり」を持ってる。中国の故事や、日本の能の題材から採り入れたからくりや。あと、曳山の上から「ちまき」を投げます。このごろは「生ちまき」もあります。
 現在は曳山連盟の約束事として、ちまき、手拭い、これ以外はまいたらアカンと。私ら小さいころはキャラメルや栗を蒸したやつを糠袋に入れて…。森永なんて上等モンやなしに、カバヤとか…。そういうモン投げると、放ったら後ろの屏風やらに穴開けたりするさけぃに、やめたんですよ。家の家宝である屏風に、穴あけたりガラス割ったりしたから。それは禁止してますしね。今は、あくまでもケガのないやつ。

−そんなモン投げてたんですか。そりゃ子供は大喜びでしょう。今もちまき争奪戦は激しいと聞きますが…。

 その通りです。遠くの人にとってもらおうと思って投げても、基本的に弱肉強食やさかい…。ただ、投げるのは大津だけに許されてるらしいですね。道路使用許可から、条件付けられますやん。
 その前に我々でも道路の問題、電線ね。高さがわからん線がたくさんありますわ。業者みんな集まってもろて、竿だけの伸びでもって計っといて、この線はどこの線や、NTTや、関電やら、そこからでている線がわかりまへん。信号機のは回転は、警察の指定業者しか触れまへん。いろいろまわって。地上高6m70cmのところを基準にしてあり、それより高くしてくれ、と。

−6m70cmですか。確かに曳山は相当大きいですよね。

 狸山になってくると狸が乗ってくるんですよ、70cmの。そうでないと道路が盛ったりしたらもう10cmくらい簡単に上がります。それで3回くらい点検に歩かないと。それで直ったら再点検。161号線のところは高圧線通ってるし、国道やからね。曳山持ってくると京阪電車もヒヤヒヤされてはるかと。
 あと、道路でもマンホールのフタがあるでしょ。そこに段差があると、玉を欠くことがあるんですわ。段差がないように道路課でやってもらってます。

−段差って、そもそも曳山は相当重いんでしょう?

 大体、5トンくらいです。玉をひとつ動かそと思うと、真ん中に的棒を回すときに反対にテコを入れたり、玉を援助してやったり、それを真ん中に通して蔵から出すんですわ。
 大津は全部分解で京都と一緒ですわ。普段は分解して蔵にしまってある。日野・水口祭の曳山は、そのまま。10月3日に、朝の8時から1時半までかかって組み立て、曳初めと云って試運転します。いつもやっとっても一年経つと、どうやったかなと。若い子はマニュアル作って、ビデオ撮ってますよ。(笑)

併用軌道を走る京津線
とにかく大きい曳山。京津線の横も通ります。併用軌道では架線を高いところに張ってあるのに…。ここを曳山が通るとどうなるかは、レールファン京阪でごらん下さい。
レールファン京阪

−それで、展示館の曳山はレプリカなんですね。

 ホンマは本物を飾っときたかったんですが、ずっと組んどくと固まって、壊れてしまう。展示館の西王母山の玉は、もう使えなくなったのを使ってるんです。

 それから、懸装についても重文関係、天井の絵や、胴幕の刺繍やら、有名なやつがあります。さらに、大津の曳山は破風、屋根の格好が4通りありますわ。こけら葺き、瓦葺きみたいな格好してるんですね。猩々山は切妻屋根ですし、神功皇后山は横にも唐破風がついてる。

−本当に豪華絢爛を地でいっています。あと、文献を見ていてひっくり返りそうになったんですけど、ラファエロの絵が見送幕になっているのもあるんですよね。なんで大津に、しかもあんな時代に…。

 月宮殿山やな、上京町の。あの絵もひとつの絵やなくして、祇園祭にもあるんです。長浜にもあるんです。ひとつの絵が三つに分かれていて、復元されて。

見送幕
曳山展示館の西王母山(実物大模型)の見送幕。見送幕は各山のみどころのひとつです。
●2004年 大津祭曳山順番表
順番 名称 通称 所属 完成 からくり みどころ
0 西行桜狸山 狸山 鍛治屋町 1635 桜の精と西行法師との和歌問答 鳳凰の絵(天井・柳里恭筆)・欄間の彫刻(左甚五郎作!)
1 湯立山 おちゃんぽ山 玉屋町 1663 飛屋・巫女・祢宜がお湯を奉納 からくり終わると紙吹雪。側面に十二支の飾り金具
2 孔明祈水山 孔明山 中堀町 1694 孔明が曹操との戦を前に大水を祈る 見送幕に有名な書家による「福」が百字
3 石橋山 唐獅子山 湊町 1705 寂昭法師が見る唐獅子と牡丹の戯れ 正面・背面の牡丹の彫刻の懸魚
4 郭巨山 釜堀山 後在家町・下小唐崎町 1693 郭巨が子を埋めようとすると黄金の釜 天井格間の金箔の花、見送幕(空海or顔真卿書?)
5 神功皇后山 神功山 猟師町 1749 皇后が岩に「三韓之王者」と書く 天井格間の鏡板に草花・鳥の絵(広瀬柏園筆)
6 源氏山 紫式部山 中京町 1718 紫式部が源氏物語を構想。回り舞台の先駆 近江八景(除石山秋月)を題材とした欄間彫刻
7 西宮蛭子山 鯛釣山 白玉町 1658 えべっさんが鯛を釣る(非常に難しい) からくりは一番人気。宵宮の見送幕は清朝初期のもの
8 西王母山 桃山 丸屋町 1656 桃が割れて童子が登場 瓦葺屋根、清朝初期の見送幕、巨大な費龍の彫刻
9 殺生石山 きつね山 柳町 1673 狐の化身の女官が玄翁和尚に正体を現す 小倉遊亀作の見送幕「霽れゆく」
10 猩々山 南保町 1637 正直者・高風に尽きぬ壺を与えた猩々が呑む 見送幕に遊ぶ80人以上の唐子は表情がそれぞれ
11 月宮殿山 鶴亀山 上京町 1776 唐の皇帝と鶴亀が舞う 16世紀ベルギー製毛綴織見送幕(重文)、下絵ラファエロ
12 龍門滝山 鯉滝山 太間町 1717 日本最古のからくり。鯉の滝上り 16世紀ベルギー製毛綴織見送幕(重文)、トロイ落城

 大津は町人文化なんですわ。商人の方がたくさんおいでになって。北陸から湖上を来る物流が大津で上がって、京に行く。大津も戦災を免れたさけぃね、もう2,3日遅かったら大津も間に合わへんかった。ビラ撒かれたらしいですから…。県庁やら、市役所やら、みなこっちにあったんやから。

−平和だからこそ、祭ができるんですね。

 ほんまですね。郊外に今でこそ家あるけどね、当時はありゃしませんから、この辺一体やったな。江戸百町って云うんですか。経済の中心地でもあったし。今も豪商がおいでになるとは思いませんけど、町衆の曳山ですな。

−人口が増えているニュー大津ではない、浜大津周辺のオールド大津にはまさに大津らしさが残っているんですね、街の作りを見ても、細い路地がいっぱいある。大津百町という言葉を噛みしめるいい機会ですね。

 展示館があるのも商店街の活性化のためにやったんやけど、車で来るってこと読んでませんわね。浜大津にあった方がよかったわね。なんやもう、みんなシャッター閉めてしもて…。これは大津に限ったことやないですけど。

大津の魅力再発見

−ところで、お囃子は、各曳山ごとにパターンが決められていたんでしたね。

 はい、各曳山が大体12,3のものを持っています。バッターボックスにはいると流れる、選手別応援歌みたいなもんです。坂道を上がるときに「流し」云うのをやります。「ちきちんちきちん」。「かんかん」はないんですよ。

−「宵山」「戻り山」はどの山にも共通であるんでしたか。

 ところが宵山、これがおかしい。もともとは本祭の帰るときの戻り山なんですが、リズムが反対のところがあるんです。2,3基ですか。戻り山と宵山がどこがどのように伝えられたかわからへんのですけど。

−なんじゃそりゃ…。たすきがけになっちゃってるんですか。

 戻り山っつうリズムは、町内を通ったら、ウチの町内の巡幸が終わっていないのに戻り山を囃したみたいなんですね。本来は、戻り山を囃すのは解散の合図です。ほんで、町内巡航中に戻り山とはけしからん、と問い詰めてみたら「いやあれは、ウチは宵山なんです」云うこともあります(笑)。

 それから、からくりに入る前の囃子と、終わった後の囃子とがあるんですよ。私ら小さいときは、間違えますと後ろから笛吹いている人にガツーンと、こうやられるんですよ(笑)。

−うわ、そりゃ恐いでしょう。

 そら緊張してます。でも、だいたい小学生。いちばん主役は子供です。あと、太鼓たたきが注目の的やね。太鼓がリズムを調整して、お囃子をリードしますからね。

−曳山を引っ張るのは若ぇ衆の仕事で、上に乗るのは子供。そう云えば、一昨年だったか、会津田島の祇園祭を見に行ったんですけど、あそこは山車の上で子供が歌舞伎を演じるんです。お囃子もそうですが、子供に晴れ舞台を演じさせて、達成感を味わわせたり、いろいろなルールを教えたりして、町ぐるみでよい子に育てていくという意図があるんでしょうか。

 そうですね、祭は大人になっていくための、一つの過程でもあると思います。

−それこそ祭は喧嘩とセックスの権化のような部分もあるのでしょうが、祭を美術・音楽・舞踊・文学が綜合した、芸術の一ジャンルとして捉える見方もあるくらいですからね。

 そうなんです。実際に大津祭をご覧になると、祭りが芸術である理由がよくわかるんやないでしょうか。

−そんなわけで、大津祭を一つの舞台と捉えると、ハイライトはやはり、からくりを見せる「所望」でしょうか。

 「所望」の場所は軒先に印が出ています。結ばれた状態だと「通過してええで」ということになってしまうんで、どこの家も大体ほどいてあります(笑)。で、からくり。それが済んだら次行って…。

通過
停車
「ここで所望(からくり)があります」という目印。ただし、印をほどいていない(上)と通過されてしまいます。ほどき忘れにご注意!

 屋根の高さ合わせて、直接2階から見られるようにしてはる家もあります。ああいう風に開放してくれはる人は、もういませんな。なんぼ大津人がお人好しでもね、個人の家に見ず知らずの人上げたるなんて、無理な話ですわ。後日問題が起きたらえらいこっちゃ。
 昔は空き家だったら構しませんでしたよ。他にも、ご主人さんが出かけてはるから、来はった人が知り合いのお客さん思て、自分も知らんでも接待しはって…。ほんで、帰らはってからご主人さんに聞いたら「そんなやつ知らんでぇ」とか…。

−そんな無茶な…。どんなからくりに人気がありますか?

 西宮蛭子山ってありますやん。たいをえべっさんがつるんです。鯛をなかなか上手いこと釣り上げられないんですわ。鯛を釣り上げたときは拍手喝采です。子供に人気あるんですよね。

−酒呑んで顔が赤くなるのもありますね。

 猩々山ね。顔がクルッと赤くなるんですよ。どれも、時間が長くて2分くらいでしょ。それでいて面白い。遠方からおいでになる方でも短時間に見られるから、山の巡行から最後尾まで1時間もあれば所望は全部見られる。29箇所でやっていますし、正午に全部揃えますが、ほかは1箇所に全部集まる云うことはありませんから、ちょっと見るだけでもかなり楽しめます。
 遠方の方も、それから大津の郊外にお住まいの方も、大津祭に是非足を運んで、大津の魅力を再発見していただきたいですね。

からくり西王母山の所望(からくり)。桃が開いて、童子が中からこんにちは。

秋の大津のハイライト、大津祭。その魅力や歴史について、わかりやすく、若々しく教えてくださいました。近くに住んでいても、なかなかそのすごさには気がつかないもの。大津祭にどうぞお越しください。大津に息づいている、百町の町衆の心意気が燃え上がる二日間です。

次回のo2talkのゲストは、滋賀県立膳所高等学校の教諭で書道部顧問の神田浩さんです。どうぞお楽しみに!


バナー

©2004-2006 京阪電気鉄道株式会社 大津鉄道事業部 / NPO法人 京津文化フォーラム82 / 大津祭曳山連盟
すべての権利を保持します。

ホーム > o2talk > 上田良平さん