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ゲストが「私なりの大津線の楽しみ方」をそっと教えてくれるかもしれません。

第12回: 福井美知子さん
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第11回: 福井美知子さん 第10回: 中井保さん
第9回: 三宅一朗さん
第8回: 岡田妙さん
第7回:安楽好正さん
第6回: 神田浩さんと膳所高校書道部の皆さん

第5回:上田良平さん
第4回: 木津勝さん
第3回: OGGさん
第2回: 高阪真希さん
第1回: 篠原資明さん

keihan-o2.com、卒業シーズンの3月には「先生」をお迎えしてお送りしています。25年前の1980(昭和55)年、大津運輸部 技術課長・岡が大学生時代、当時では珍しい米国語学留学を経験した際のコーディネイターで、長年日本の英語教育をリードしてきた岡田妙さんをお招きします。「未だにアタマ上がらへんねん」と語る師匠との、二十数年ぶりの再会。昔話、教育論、どんな話が飛び出すのでしょうか。

1月27日、琵琶湖ホテル アトリウムラウンジにて
ホスト=岡 秀敏(大津運輸部 技術課長)

「多様化が進み、面白い時代になってきました」
岡田妙さん

大英帝国華やかなりし、京阪電車の黎明期

−先生、ご無沙汰しております。京津線のヘビーユーザーでいてはるんですね。ありがとうございます。

京津線にはご恩があります。随分乗りましたね。だいたい私は、電車に乗ってる間に単語の暗記をしたりしてました。フランス語の単語なんかたいていは京津線の電車の中で覚えました。
今は最寄りが大谷駅で、トンネルを出たところがカーブなので、冬場だと湯気が出てくるのが見えます。駅で待ってる人の姿を見ると、湯気が見えたら「もう電車来るな」と思って乗車位置のあたりまで移動するんです。

岡田妙(おかだ・たえ)

県立大津東高校から、同志社大学文学部英文学科1958(昭和33)年卒。1963(昭和38)年から64(昭和39)年まで米国に留学、ハワイ大学、コロンビア大学、ワシントン州立大学に学び、ハワイ大学で修士過程(英語教育学専攻)を修了。
1964(昭和39)年に同志社大学文学部の研究助手となり、1967(昭和42)-68(昭和43)年フランスに留学、パリ大学(ソルボンヌ校)で修士課程(言語学および音声学)を修了。1973(昭和48)-75(昭和50)年には、ハーバード大学とマサチューセッツ工科大学で研鑚(言語学および音声学)。
1968(昭和43)年以降、同志社大学で言語学関連科目と英語を担当。現在、同志社大学名誉教授。大津市在住。

−電車が新しくなったことで苦情が殺到したんです。きしり音を減らすために水を撒いているところは他社でもあるんですが、霧にした方が水代も少ないし、効果があることが分かったんで…そういえばあれって湯気に見えますなぁ。

同志社大学名誉教授 岡田妙さん
「沿線にも、まだまだいろんな発見があるんですよ」
大津線にもいろいろお苦労があると思うんですけど、京阪は雪が降ってもダイヤが乱れるようなことがありません。しかも地下鉄につながって便利になりましたね。もともと大谷は寒いとこなんですよ。何年か前の冬でしたが、ある日の夕方、山科でJRから京阪に乗り換えようとしたら、みぞれが降ってました。駅でご近所の奥さんに会って連れだって帰ろうとしたら、ご主人が長靴持って迎えに来はったんですよ…「なんでや」云うたら、大谷はものすごい雪で長靴が要るよ、と(笑)。
併線分岐部の散水装置
曲線の多い大津線では、スプリンクラーを設けて騒音の軽減に努めています。

それから、今の大谷駅もいいんですけど、以前の大谷駅もよかった。駅の柱に古いレールが使われてましたね。

−イギリスから輸入された、「KDTKK」って書いてある線路ですね。

いつも電車を待ってる時に、レールのデータや説明書きを見るにつけ、明治の頃の、日本の一企業がこのような物を輸入する知恵や力をもってたんだなあ、と思いましたね…明治の日本人が国を作るために力を尽くしたことを感じました。

−京阪が開業する時の電車の、モーターやら電機品はロンドン製なんですよ。京阪電車が使うてて、それを日本のメーカーに模造させたんが日本の電車のモーターの始まりなんですよ。

その頃、イギリスが世界を制覇していた名残ですねぇ。父が貿易関係の仕事でロンドンやロッテルダムやアムステルダムなどを貨物船でまわってた時期があったんです。そのような船が、このような輸入物資を運んでいたのかなぁなどと思いましたね。

近江神宮前駅のレール柱
近江神宮前駅に残る、古レールを使った線路。

読む、書く、話す、聞く

−ここ10年ほどで、英検からTOEFL、TOEICなどに意識がシフトして、ネットなどから英語が較べものにないくらいに入ってきて、入試英語から実用英語としての側面がクローズアップされているように感じます。長いこと、英語教育の最前線におられて、変化をどうお感じですか?

琵琶湖ホテルでの談笑
「今の方は、書くよりも会話が得意なんですよ」
「私らんときと逆やありませんか…」
若い人たちは、カセット・テープからCDやMDに移行しています。外国語の音声教材は広く提供されるようになりました。一般化していないのはライティングの練習なんです。音声教材は普及してきたけど、外国語でものを書く機会はほとんどない。コミュニケーションというと、とかく「聞く」とか「話す」とかいうことに力を入れていて、ライティングはあまり経験したことがない。

−話す・聞くは成果を上げてきてるんですね。もともと日本人は、読み書きが得意でもコミュニケーションがアカンと云われていましたが…。

経験の量が違うんだと思います。書けるようになりたかったら書かなアカン、しゃべれるようになりたかったらしゃべらなアカン、と私は云うてるんです。思ったことを書けるように練習しないと、しゃべれるようになりにくい。書くこともできないような文は話せるようにはなりませんからね。

−英語教育は、日本語教育と実は一緒ですからね。日本語をきちんと使いこなせれば、外国語は大人になってからの覚えが早い。
特に2つ目の外国語を習うときには、日本語や英語と対比して覚えていく過程で、文法の知識なんかが役に立って、客体的にその言葉が見えます。ちょうど、子どもの頃に日本語を覚えたプロセスを思い出すように…。

私の友人で、子どもさんが幼稚園くらいでしたが、バイリンガルに育てたいと思って、家の中のあらゆる箇所に付箋紙を貼り付けておられました。引き出しには「引き出し」、扉には「扉」という単語を書いて貼ってあるわけです。子どもがそれを見て、親がその単語を使っていれば、子供が自然に覚えていくということです。そのお子さんも今は立派に大人になって外国で活躍しておられるようです。

里山、自然とコミュニケーション

−ところで、お住まいの大谷は、京阪電車の中でもいちばん乗降客が少ないんですよ。

大谷には、昔は国鉄の駅があったそうです、だから大谷は京阪電車への乗り換え駅だったわけで。今はトンネル跡の標識があるだけなんですが。何しろ古くから東海道の逢坂山関所があった所ですから交通の要衝ですよね。
それから、陸軍の射撃訓練場があったということも聞いています。もともと大谷は大事な駅だったんですね。

終戦直後から講和条約の後までずっと進駐軍の駐屯地が皇子山にあって、今、皇子山の運動場、野球場なんかのある場所は進駐軍のための農場だったんですね。その米軍も射撃練習場を使っていたという話を聞いたことがあります。
その場所が今は大谷の乗馬練習場になっています。近くには謡曲の「蝉丸」ゆかりの蝉丸神社の他、食肉処理場やLPガスの給油所もあります。

国道1号線の東側には「錫谷」と云う地名が残っていて、錫が出たのかどうか知りませんけど、何か鉱石が出たことがあるんでしょうか。
真ん中に川が流れていて、屏風のような山に挟まれた谷で、音羽山の山裾なので「音羽の百滝」と云う表現もありますけど、滝やせせらぎがありまして、その周辺には住宅が結構ありますよ。その町内の草木染めの組紐工房は、先代さんが大津市の無形文化財の認定を受けられた老舗です。

−さすがにお詳しくていらっしゃる。

私が子どもの頃、終戦直後のことですが、親戚のおばさんと一緒に、薪になりそうな枯れ枝や枯れ葉を集めに歩きましたので、あの辺の山道はよう覚えてます。

今でも裏山を歩いていると周りの灌木など剪定してやりたいような気持ちになることもあります。今は薪でご飯を炊くこともない。だけど歩いていると、山の手入れをしたくなるほど里山は手つかずになってます。木の実を食べたりした頃が思い出されます。

−琵琶湖ホテルが里山をめぐるツアーを企画してるんですけど、全国からやってくる。いつも満員なんですよ。

子どもたちのために夏のキャンプで里山を体験させるような企画の話を聞いたりしますけど、そのようなことが普及するといいですね。

同志社でも、京田辺の校地は、里山に囲まれたハイキングコース的な丘の上にキャンパスができました。校地が建ったばかりの頃、校舎の大窓のガラスに鳥がぶちあたるんです。ガラスに空などがうつってるからです。それでクチバシが割れて、たくさんヒワやヒバリなどの野鳥が怪我をしましたよ。

夏休み中などキャンパスが静かになりますと、ウサギが毎日のように出てきてたんです。それが夏休み終わっても、まだ静かな状態が続いてると思って出てくる。すると学生さんたちが「きゃー、かわいい」と大騒ぎしながら近寄ってくる。ウサギの方は怖がって逃げ回って、サツキの植え込みの上に跳び乗ってしまって、もがくんですよ。その様子が「可愛い」としか見えない。ホンマ可哀想にねぇ。ウサギさん見つけたら、静かに声をひそめて、なるべく遠巻きに知らんふりしながら通らなあかんのですが…とにかく自然と縁遠いので付き合い方がわからないんですね。

−80年代のことですね。

田辺に初めて行った頃は、電車の駅から田んぼの真ん中通って上り坂を歩いて登校せんならん。歩くのが苦手な人が多くて…。中にはしっかり歩ける人もいて、その人達は服装なんかでも、運動靴を履いて、肩掛けのバッグもリュックに変えて…。ところがまるで銀ブラみたいな歩き方しかしない人もいる。体力にも差があると思いましたね。

琵琶湖ホテル
琵琶湖ホテルの「里山塾」について、詳しくはサイトをごらんください。

留学の思い出と価値観の多様化

−体力はともかく、知力はどうでしょう? 俺ん時は工学部で「留学したい」云うのはおらへんかったど…。

上位の人は知力はもちろん、いろんな点で向上していると思いますね。外国語ひとつ採り上げても、英語だけでは必ずしも十分でない時代になりました。だから、英語プラス何語にしようかというような人も結構いて、熱心に力をつけています。

工学部生は英語にも熱心で、よく勉強してますし、教え甲斐もあります。岡さんはどうしてあの留学プログラムに参加なさったんでしたかしら?

−とにかくアメリカの電車に乗りたかった。(笑)25年も前ですから、生のアメリカを知ってる日本人はそうはいない。当時俺は日本を出たかっただけで…。

岡と愉快な仲間たち in U.S.A.
1980年、米国にて。岡(後列中央)と愉快な仲間たち。
留学生を交えて、4月から講義はある。キャンプしたり、英語したり。その半ば仕上げでアメリカへ行って…ノースウェストやったかな、飛行機乗ったらいきなり日本人おらんねん(笑)。こりゃアカン思たけど、NYに着いて初めての食事が何とか自力で食べられたんで「何とかなる! 」思た。
行くと全然ちゃうし、日本語しゃべれるやつは誰もいない。いきなり東海岸のちっちゃな街で、頼りになるのは先生二人と、向こうのヘルパーがちょっと。一月半くらいかな、いろいろ見せてもろたのが…私の人生においてかなり大きな部分を占めてる。
帰ってからまた講義がある。それで次の年のやつに引き継いで終える。それが10年くらい続いたのかな。
留学プログラムに随行した岡田さん
こちらは1980年の岡田さん、米国にて。
そうでしたね。岡さんたちの留学の後、向こうのヘルパーだった二人もそれぞれ日本語を覚えて同志社へ一年間の交換プログラムでやって来ました。日本に関心があったんですね。

今の学生層は上下の開きがだんだん大きくなってきている。体力も、知力でもそうですね。人間的にも大人な人が多くて…。家庭や出身校などにもよりますが、子どものままで守り通していくような教育の考え方もありますしね。なにしろ多様化してます。どんな基準をとっても相違の幅が大きくなってるように感じます。

−実は、昔の恩返しになるかと、一昨年、昨年とホームステイの学生を短期ですけど預かったんです。初めて留学したところのアメリカがなくなってきている。
1年目に預かったのがおばあちゃんが日本人。「おばあちゃんが育った国を見たい」云うことで、何事に対しても丁寧。
せやけど、去年預かった子。お父さんがMIT、お母さんがNYのウィリアムズバーグ。だけど、家に来ても、なにもしない。一切のことは、何も関知しない。全然違う。

何につけても一人づつ大きく違うでしょ?日本でも個人差が大きくなってきている。「画一主義はよくない」というスローガンがありましたが、画一ではなくなってきました。

−ある意味で、成熟社会の証拠ですね。自由な社会になればなるほど、何を軸にとっても個人差が大きくなる傾向はあると思います。私の周りでも、ネットを通じて「古い車両を保存しよう! 」って集まってきた奴がいる。ちょっと前なら考えられなかった。面白いと思いますよ。

師弟の再会
「振幅が大きくなり、個性が伸びてくる時代になりました」
「成熟社会の証拠ですね。考えられへんようなことも起こってきてる」
その意味では面白い時代になってきたんでしょうね。
近江八景もありますからね。大津に全国からたくさんの人に来ていただくと面白いやないですか。

愉しい企画をいろいろ作っていただきたいと思います。これからも期待してますよ。


技術の継承・開発はもちろん、さまざまな面から卓越したアイディアと行動力で大津線をリードする岡のチャレンジングスピリットは、学生時代の留学経験で大いに培われたと云います。
岡こそは京阪電車に受け継がれる「進取の気象・技術の京阪」を体現する一人ですが、その「進取の気象」は、今日に至るまで永年、英語教育のツールとしてさまざまな機器を導入してきた岡田さんから受け継いだものでもあると云えましょう。まさに「仰げば尊し、我が師の恩」。
京阪電車は、皆さまのよき師・よき友の思い出までも乗せて、今日も走っています。

次回のo2talkもどうぞお楽しみに!


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