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o2trainsタイトル 京阪電車はかつてから日本初の技術を多く導入し、50種類以上にも及ぶ台車をはきこなすなど、「進取の気象」「技術の京阪」の名をほしいままにしてきました。

大津線も例外ではありません。わずか21.6kmに連続する急勾配、急曲線、路面区間…。日本屈指の厳しい線路条件を克服し、安全で快適なお出かけを約束する大津線電車こそ、小さなボディに個性と高性能を秘めているのです。

このコーナーでは、大津線で活躍する電車や施設について、やさしく、そしてちょっとマニアックに(担当者が好きだからです…)おとどけします。

第12回: 京津線 800系電車(4)
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第11回: 京津線 800系電車(3)
第10回: 京津線 800系電車(2)
第9回: 京津線 800系電車(1)
第8回: 石山坂本線 700形電車(4)
第7回: 石山坂本線 700形電車(3)
第6回: 石山坂本線 700形電車(2)
第5回: 石山坂本線 700形電車(1)
第4回: 石山坂本線 600形電車(4)
第3回: 石山坂本線 600形電車(3)
第2回: 石山坂本線 600形電車(2)
第1回 :石山坂本線 600形電車(1)

トリビア2題

800系のお話を締めくくるに当たって、ちょっと面白い800系ならではのトリビアを2つ紹介しましょう。

1. パンタグラフ可動範囲

現在、各社の電車では、降雪に強く、構造が簡単などの理由で、菱形パンタグラフに変わってくの字形の「シングルアーム・パンタグラフ」が採用されるケースが増えています。800系は京阪電車でこのシングルアーム・パンタグラフを採用した初の例であり、現在のところ唯一の例でもあります。
ところで、800系がこのシングルアーム・パンタグラフを採用した理由は、第1回でもご紹介したようにちょっと変わっており、「可動範囲も広いうえに、折りたたみ面積が小さいために低屋根化する部分を小さく済ませられる」ことでした。

大津祭の曳山と
大津祭で曳山の横を、パンタグラフを振りかざすように進む800系。
屋上機器の高さがとれない800系の屋根上のスペースに超薄型のの冷房機を載せた姿はご紹介しましたが、「可動範囲の広さ」をご紹介しましょう。京津線は併用軌道区間において、自動車の通行をスムーズにするために、特に高い位置に架線を張っています。これは、大津祭の時に6m70cmの高さがある曳山と比べることでよく分かるでしょう。併用軌道区間では、800系電車もパンタグラフを振りかざすようにして走ってゆきます。
折りたたんだシングルアームパンタグラフ
このコンパクトさも、シングルアーム採用の理由でした。
一方、東西線は「ミニ地下鉄」として建設されました。初期の地下鉄、たとえば東京メトロ銀座線や、名古屋の東山線・名城線などは同様の理由で小断面ですが、以降の高度経済成長期に建設された地下鉄は、相互乗り入れ先の規格に合わせたことや、混雑する一方のラッシュ時の輸送力確保のために大型化されました。ところが再び時代は変わり、現在、全国の新しい地下鉄は比較的安く建設費を上げられる、リニアモーターカー方式による「ミニ地下鉄」が主流です。

東西線も「ミニ地下鉄」ではありますが、この場合は、京津線の乗り入れがあるために、唯一リニアモーターカー方式が採用されなかった特殊な例です(「ミニ地下鉄」で乗り入れがあるのも東西線のみです)

東京メトロ銀座線
都営大江戸線
最古の小断面地下鉄、銀座線とリニアモーターカー式ミニ地下鉄、都営大江戸線。

東西線はホームドアを採用しているので、なかなか架線の位置は見にくいと思います。ホームドアを用いていないミニ地下鉄である、大阪の長堀鶴見緑地線や東京の大江戸線でも、パンタグラフがなかなか見えないと思います。
これは京都市交通局の50系の写真ですが、いかに低いところに架線があるかの写真をご覧に入れましょう。ちなみに、地上線の架線標準高さ(レール面上)は5200mm、そして地下線区間の架線標準高さでは3650mm。つまり、1550mmの応動範囲を「最低限」持っていると云うことです。

さらに、800系の車高は3475mm。地下鉄区間に入ると、わずか15分前まで振りかざしていたパンタグラフをほとんど「たたむようにして」走っているのがよく分かるのではないでしょうか。

大江戸線パンタグラフ
50系架線
ホームドアがなくてもよく見えない大江戸線のパンタグラフ(上)。下は、京都市50系を上から見たときの架線。低いっ!!

2. 「京都市役所前」

800系の行先表示器は、これも現在のところ京阪電車で唯一であるLED方式を用いています。この行先表示器はさすがに特注品ではなく、汎用品を用いていますが、5文字までの表示にしか対応していません。実際京阪電車でも最長の駅名は「近江神宮前」です。

ところが「京都市役所前」は6文字。そこで急遽、メーカーに依頼して外字を作ることになったのでした。こんど、京津線をご利用の際には、特に「都」の字に注目してご覧ください。やや縦長になっているのがおわかりかと思います。

なお、現在は鉄道車両や駅のさまざまな場所でLED表示器は活用されていますが、このような外字作成は特に珍しい事例ではありません。

外字で作られた「京都市役所前」
「京都市役所前」はナント、外字だったのです。へぇ〜。

小改造ア・ラ・カルト

80形を継ぐ「京津線の顔」として800系が走り始めてから早くも8年以上が経ちました。
30年から50年程度の寿命を想定して作られる鉄道車両は、その間に様々な更新や改造を受け、製造時と廃車時の姿は大きく変わるものも少なくありません。京阪電車でも、まもなく引退する1900系1914号車を例にとると、ざっと見たところでも(1)1810系特急車1891号として生を受け、(2)1900系に編入される、(3)3000系の登場に伴い3ドア化され通勤車に格下げされる、(3)昇圧改造を受ける、(4)冷房化改造・更新を受ける、(5)パンタグラフを撤去される、などの変遷をたどっています。また、o2trainsでもお話してきたように、600形・700形の両形式も、それこそ大正時代からさまざまな歩みをたどってきたことがおわかりになるでしょう。いずれも、「新システムへの適合(昇圧工事など)」「時代が要求する環境への適合(格下げ・冷房化など)」「性能の回復・進化(更新工事など)」がこれらの改造の背景と云えましょう。

しかし、800系は、導入と同時に京津線のシステムが一新されたことや、既に時代が求めるサービスレベルを達成しており、登場後8年を経た現在なお「どこに出しても恥ずかしくない電車」として活躍しています。従って、「わかりやすく大きな」改造は、現在に至るまで受けていません。

それでは、全く何の工事も施されていないかというとさにあらず。いずれも微細な変化ですが、登場からの変更点をご紹介しましょう。

まもなく引退する1914号
まもなくお別れの、京阪線1900系1914号。

1. 黄帯の塗装化

日本の伝統色である「苅安」と呼ばれる黄色い帯は、新時代の京津線を象徴するラインカラーとも位置づけられています。登場当時の800系は、近年多くのステンレスカーに見られるように、粘着テープを用いてこの帯を表現していました。

この背景には省力化とともに、実は800系の帯色が直前になるまで決まらなかった逸話があります。はじめは赤色をまとうという話もあったくらいの「新・京津線専用塗色」は、様々ないきさつを経て「パステルブルー」と「灰白」に決定しましたが、いざ実車が仕上がってきてみるとどうにも締まりがない印象がぬぐえませんでした。そこでもう一色、帯を追加することになったのです。
この帯の色は当初は日本の伝統色の中から「紫色」の案も示されていましたが、明るく軽快で、引き締まった印象もある黄色−苅安−に決まり、これを貼ってみたところ新時代の京津線を象徴するにふさわしい雰囲気が出せたため、最終的な塗色が決定したというものでした。

ところが、実際に運転を開始してみると、走行中に空気との摩擦で粘着テープの部分に静電気が発生し、細かいホコリを吸着し、すすけたようになり、汚れが目立ちやすいことがわかりました。2〜3日で真っ黒になってしまいました。京阪電車が誇る800系は、「きれいな電車」としてお客さまに親しまれなくてはいけない、との考えから、再塗装の際にはこれを塗装で行うこととして、問題は解決されました。

苅安の帯
現在は塗装されている「苅安」の帯。

2. 運転台窓の改良

京阪電車には、客室からの展望をめいっぱい楽しんでいただけるように、運転台後ろの窓をできるだけ大きくとる伝統があります。先頭の窓にかぶりつくようにして京津線の「劇場路線」ぶりをお楽しみになった方も多いことでしょう。
しかし、夜間、トンネル区間、地下鉄線内では、客室からの明かりが入ってくることにより、計器類や周囲の様子が見えにくくなる恐れがあるために、安全のために「遮光幕」と呼ばれるカーテンを閉めて運転しています。この遮光幕はスイッチ一つで、電動で上下するスグレモノですが、窓の下辺から漏れる客室内からの光が計器を見づらくする難点が目立ってきました。現在では、運転台後部の窓の下辺に黒色のテープを貼ることで光漏れを防ぎ、安全運行を支えています。

運転台窓の黒テープ
この黒いラインが安全を支えています。

3. 正面の車番の位置

開業前の試運転の段階まで、正面の車番の位置が非常扉窓の下辺付近にありました。係員が車番を確認しにくいため、今の位置に急遽変更されました。これは、開業当日にはすべて今の位置になっていましたので、ごく少数のファンの方しかご存知ないことでしょう。鉄道雑誌の「新車紹介」では、オリジナルの位置のままで写真が載っています。

車番に注目。搬入される802号
搬入時、まっさらさらの802号。車番が非常ドアの窓の下についています。

4. 車幅灯のLED化

特に夜に800系をきわだたせる魅力である車幅灯。実はこの車幅灯もモデルチェンジを受けています。もともとは600・700形や80形にも装備されていたこのオレンジの車幅灯は、万一の接触事故の際にもすぐに交換できるように、ダンプカーと共通の部品が使われていました(実際、接触があった際にも、車庫よりも近いカー用品店に走ったという逸話が残されているほどです)

LED化された車幅灯
LED化されて輝く車幅灯が安全を守ります。
もともと800系は東西線区間ではワンマン運転を行っていましたが、2003(平成15)年の京津線ワンマン化に伴い、特に夜間の併用軌道における安全性向上の観点から、この車幅灯を輝度の高いLEDプレートへと交換しました。このLEDプレートは非常に薄型である上に、従来品とは異なり優れた防水加工がされているために、800電車での成功事例をもとに、大津線の各種設備などへの採用や、他の鉄道への紹介も行っており、安全性の向上に大きく貢献しています。
夜の電球車幅灯
電球車幅灯
ちょっと分かりづらい写真ですが、電球当時の車幅灯。

5. 座席モケットの変更

一番わかりやすい変化でしょう。登場から8年をすぎ、そろそろ座席モケットの交換時期を迎えた800系ですが、従来のジャガード織りのモケットに替えて、「大津線=深いブルー」のアイデンティティを持つモケットに、「京津線=苅安」のラインカラーを表現したヘッドレストカバーをあしらった編成がデビューし、好評を博しています。

モケットのデザイナーの弁によると、全体を通しての模様は、京都の伝統を象徴するような「扇」、また、見方によっては大津を象徴するびわ湖の「波」と見える柄をブルーの濃淡で表現してあります。また、明るめの緑色の小さな四角は、京都・東山と、大津・比叡山の緑からとりました。ちりばめ方を工夫することで、前述のびわ湖の波がきらきら光っているようにも見えますし、京都の町にひらひらと風で舞う木々の葉っぱにも見えます、とのこと。

これから2年間で全編成の装いを新たなものにしていきます。これからも劇場路線=京津線の主役として、その高性能を発揮し、安全に、快適にお客さまを大津へ、京都へとお連れするスーパー・ハイテクトレイン、800系電車にどうぞご愛乗ください。

(連載「800系」おわり)

オリジナルインテリア
ニューインテリア
オリジナルのインテリア(上)と新しいインテリア(下)。

800系について語る(4)
「初めてのシステムやったんで、非常に気ぃ遣いましたね」
株式会社 京阪ビジネスマネジメント 情報システム事業部 マネージャー
豊田秀明
−800系では何を担当してらしたのですか?
京阪ビジネスマネジメ ト 情報システム事業部 マネージャー 豊田秀明
「昔は、ホンマしごかれながら電車作ってましたよ」
今では「コンピュータ屋さん」として生業をたてていますけど、800系の設計の時には、車両課にいたんですよ。モニター装置をやってました。普段は画面を出しているだけですけど、故障があったときにどういう情報を挙げるか、とか。800系は7200系と兄弟で、先に7200系にも付いてましたけど、 800系のは運転するときにもダイヤ表示したりといろいろと使いますでしょ?初めてのシステムやったんで非常に気ぃ遣いましたね。

前回のo2trainsに倉堀が出て「代表作は3800」なんて云わはりましたけど、私も3800形には思い入れありますね。まだその頃はぺーぺーでしたが、当時の上司が倉堀で…毎週土曜日に栄養ドリンク持って「お前らがんばれやぁ。お前らできへんから、ワシら来てるんやぞ」って。もっとエエもん持ってこいって…アルコールとかね。(笑)

「ブレーキ試験装置作ってくれ」云う話も受けてまして、シーケンサとタッチパネル使て、プログラム組んで作りました。今も大津で細々と動いているでしょうけど、個人的にも勉強になりました。
そう云えば、メーカーの方は本当に一生懸命仕事してはったわなあ。出張来はるときでも夜行で帰って…。「そうすると朝一番の常磐線特急に乗れる」云うて。

−えっ。御茶ノ水とかじゃなくて…、茨城県から大津まで来るんですか!

そうですね。朝会社に行くと、FAXがいっぱい出てる。今ならメールでしょうけど、当時はFAX。受信時間見ると当たり前のように夜中の2時とか3時とかでした。仕事に対する考え方は、本当に勉強になりました。
そんな中で、饗場(伝説的な車両設計者)の後任で「東西線準備室」に行きまして、800系の技術的な仕事は、実はロクにしてないんですよ。

−えっ、そうなんですか?

どちらかと云うと、京都市の方と折衝するのがメインでして…。一般に「乗り入れ」って言うと「相互乗り入れ」なんですけどね、ウチは「片乗り入れ」ですよね。そんなんで、どう考えても、乗り入れ条件の折衝はすごく大変でした。そんな状況でも何とか折衝で京阪の考え方を主張し通して、好条件をとってくるのが東西線準備室の仕事でしたね。「モニター画面の仕様が違う」とか、全部こっちのお願いです。こうして、モニターやったりATC/Oをやったりしているときに車両が上がってきて、次に来たのが…搬入ですわねえ。

新設の引き込み線 留置される80形・350形
引き込み線の跡地 今では草むしています
完成した引き込み線と、留置されていた80形・350形、そして現在の姿。800系はここから大津線に姿を現しました。
廃車になった80形を後に止めておいたところに引き込んでたんですけどね。搬入しようと思たら、そこに自動車が止まってて「どないしよか」と思たこともありました。2階建てのプレハブ小屋をそこに作って、二人しかいなかった車両屋のどっちかが立ち会うことになってまして…。

始発までに終わらせるので、4時くらいまでですけど、2日にいっぺんは徹夜やることになって、エラかったの覚えてますわ。本線の試運転なんかもあって、最高3徹くらいしたんです。
昼も夜もずっと仕事なんて身体がもちませんので、適当に「時間調整」はしてましたよ。でも生活は荒れました。夜には晩メシもかねて焼肉を食べてね、酒は呑みませんけど太りましたわ。おかげで三条界隈の店はだいぶ覚えましたよ。

−電車は陸路で浜大津まで来たんですよね。

神戸のメーカーを夜中に出発して、枚方やったかな、途中「一泊」して…そう云うても、昼寝ですけどね。1晩に2両入れて、2日で1編成にして、回送だったんちゃうかな。

−いろいろエピソードがありそうですが。

ありますよぉ(笑)。1本目ん時なんか、どっから情報とって来たのか、ものすごうマニアさんが来られましてね。神戸からずっと追っかけてきて…。そちらの安全確保も気ぃ遣いました。

そうそう、面白かったのは「雪・雨男」が居てね、降るんですよ、彼が寝屋川からやってくると。「…頼むからあんた来んといて」(笑)。
ある時は、搬入する直前に「ガシャーン」という音。現場の前で交通事故があったんですよ。搬入できるかな、その人大丈夫かな、電車にぶつけてないかな、とか、冷や冷やでしたね。

人力での搬入
電車をみんなで押し込みます。完全に夜は明けています。
ところで、電車って意外と軽いんですよ。1両トレーラーから降ろして着線させると、今の琵琶湖ホテルの前あたりまで人力で押してゆくんです。2〜3人で押したら、軽く動くんですよね。
防犯用フェンスと豊田
防犯用フェンスを準備する豊田。大津線にとっては四半世紀ぶりの純粋な新車、800系の搬入は一大イベントでした。
回送するまでは、新しい電車置いとくの心配で、監視カメラつけたんですよ。フェンス沿いですから、傘とかでつつかれんようにビニールのシートつけて。大事な新車ですからね、しかもめちゃくちゃ高いし。

−そんなことまでしてらしたんですね。

御陵にて、コンクリートが打たれたばかりの構造物。
完成寸前の御陵の構造物。
東西線準備室は「窓口の仕事」やったので、車両だけでなく、電気系や工務系とも摺り合わせてました。トンネル掘ってる現場なんか見に行ったんですけど、御陵のところでねじれてるのがよく分かりましたね。身体悪するんちゃうかと思うこともありましたよ。新しくコンクリート打ったすぐ後なんで、コンクリートの細かい粒子がモウモウとしているんです。試運転車両が通る度に、ぱあっとそれが巻き上げられて…。

−大津線は終電後でしたが、東西線の中では思う存分試運転ができたでしょう?

醍醐の800系と京都市50系
醍醐車庫で並ぶ試運転中の800系と京都市50系。今や貴重な写真です。
どうやったかなあ…結構いろいろ忘れちゃってるんですけど、東西線の中で試運転してたときには、醍醐の車庫に電車を泊めて、中書島から自転車で出勤したりしてました。京都市の運転士さんは、烏丸線から半分、新規採用が半分ぐらいだったかな。試運転は、大体同じメンバーでしたんで、顔なじみも増えましたね。毎日同じ所を行ったり来たり、何十回もテストやって誤差を測定してデータを積み上げてゆく。ATC、ATOをきちんと誤差の範囲で停めなくちゃアカン。

そうそう、800系は本番まで大谷ですれ違ったことなかったんですよ。計算上は十分余裕あって心配ないんですけど、冷や冷やしましたね。擦ったらどうしようって(笑)。

懐かしむ豊田
「いろんなことがありましたね、懐かしい」
私の記憶に残っているのは…試運転のほかには、切り替え当日ですね。あんなことは私にとって初めての経験で、上は上で架線いじってるし、下は下で線路いじってるし、車両は車両で…。合戦場かな、云うくらい盛り上がってましたね。
夜なんで電灯が赤々と照らすなか、「わあーっ」という声や人いきれが、忘れられません。東西線準備室のハイライトですからね、達成感は凄くありました。切り替え開通後の、試運転1番電車に添乗したことも良い想い出になりました。
京都市の人とも結構、鉄道屋同士云うことで話は合いましたね。今でも仲良くさせてもらってます。

その日に私も結婚したんですけどね、「こら、思い出の日にせなアカンな」云うことで…。

−えっ、あんな日に結婚されたんですか?

もちろん年は違いますよ、そら。(笑)

一大プロジェクトだった京津線と東西線の乗り入れ。全く新しいシステム同士ががっぷりと四つに組んで、日本で唯一のLRT的存在として、海外を含む各方面からも注目されています。当時、車両部から東西線準備室へと移動する中で中心的な存在を果たした豊田は、システムのスペシャリストとして、高度なシステムに支えられる現在の京津線の基礎を築いてきただけに「だいぶ忘れましたよ」と照れながらも、当時の熱い日々を思い出していました。4回にわたってお届けしてきた800系の連載ですが、「技術の京阪」の伝統と叡智が結集されていることが少しでもお伝えできれば幸いです。「湖都古都・おおつ1dayきっぷ」や「京都地下鉄・京阪大津線1dayチケット」を手に、情熱の結晶である800系の旅を、どうぞ楽しみにいらしてください。

次回からo2trainsでは、新展開が始まります。どうぞお楽しみに!


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